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zoom RSS 『1000の小説とバックベアード』/佐藤友哉 ○

<<   作成日時 : 2008/12/18 23:22   >>

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佐藤友哉さん、創作活動に行き詰った時期があったのでしょうか・・・。
『世界の終わりの終わり』のときも思ったのですが、そういう自分を赤裸々にフィクションの中で描くのは、とても苦しいのではないでしょうか。半面、それが傷を癒す手法(傷を切り開いて膿を出すような)にもなるのでしょうけど。

片説家である、主人公・僕こと木原。片説家とは、「特定の個人に向けて物語を書く」事を職業とする会社員のことである。片説家は、会社に所属する。大衆に向け物語を発信する小説家とは全く違う存在である。
その僕は、二十七歳の誕生日に、片説の会社をクビになった。
その僕のもとに「小説を書いてほしい」「行方不明の妹を探したい」と依頼する女性・配川ゆかりが現れる。
小説を創造する力がありながら、小説を信じず、小説家にならず、才能を無駄にする「やみ」の存在。
小説から見放された者のための「図書館」に幽閉される僕。図書館からの脱出と配川ゆかり・つたえ姉妹との『日本文学』への旅立ち。
巡り合えた『日本文学』は既にミイラ化した右手で。それでも木原と配川姉妹に「小説」「言葉」「濾過され残るもの」などのイメージを与える。小説によって、言葉によって、世界を循環する存在となる、僕。

ううむ〜。なんだか難しいなぁ。というのも、途中までは「冒険小説風」だったのに、いつの間にか小説論的になって、どんどん物語が抽象化してしまい、水無月・Rのアタマでは明確に捉えることができなくなってしまったのですよ。
なんとなく・・・は解ったような気がするのですが、いざ言葉にしようと思うと、全くと言っていいほど、表現できない。
小説家VS片説家VSやみの入れ替わり、すり替わる対決や、混沌とした小説というもの、小説家という存在の定義などが、頭の内側をもやもやと行き交うばかりで・・・。

タイトルの『1000の小説とバックベアード』というのも、分かりにくい。「1000の小説」の部分は、この世に幾多の小説が刊行されてきたけれど、真に小説と呼べるものは1000冊しかない、という意味らしい。そしてバックベアードとは、西洋の一つ目の妖怪で。作中に出てくる図書館長・バックベアードは顔のない真っ暗なのっぺらぼうで(下手すると人間ではなく思念が実体化したものかも知れない)。
でも最終章で、この1000に入れなくても、小説は言葉は循環し濾過され、世界を巡っていくという。
それが、この物語の希望の光なのだろうか。

どうも、難しくて分からなかった・・・。
水無月・Rは、物語を作ることができない人間だからか。単に理解力が低すぎるだけなのか・・・。
ただ、機械音痴でこじつけ上手の一之瀬探偵とか、小説家になろうと歩き始める僕とか、明るい行き先が見える感じがするのは、良かった。
佐藤さんの文章や、物語の展開の仕方は好きなので、出来れば今後は、こういう抽象的で難しい物語ではなく、もっとスカッとする方向でお願いしたいものですが(笑)。

(2008.12.18 読了)
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著者:佐藤友哉出版社:新潮社サイズ:単行本ページ数:254p発行年月:2007年03月この著者の新着


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