『庭師~ただそこにいるだけの人~』/ジャージ・コジンスキー ○

ああ、これは風刺寓話だ、たぶん。意味深だけど、明らかに寓話だな。
な~んて、勝手にツッコミを入れちゃいます。いや、面白かったし、なかなか示唆に富んでましたけどね。あの終わり方は、小説というよりは寓話だな~と。嫌いじゃないです、こういう話は。ただ、最近、リアリティとか幻想とか、色々自分の中で渦巻いてるので、物足りなかったのですよ。
ですので、ホント個人的感想にて○を付けました。

大富豪に拾われ、その気まぐれ?から、過去の痕跡持つことが出来なかった孤児が長じて庭師になった・チャンス。富豪の死により、40年暮らしてきた屋敷と庭を追い出され、初めて外界を体験。そこで事故にあい、第一アメリカ金融協会の会長宅で療養することになる。そこで会長のベンジャミン・ランド氏と「庭」について語り合い、チャンスの語る「庭」を「アメリカ経済が直面している状況」と取り違えたランド氏が、チャンスを経済専門家と勝手に思い込む。
チャンスが語る「庭や自然」を示唆富んだ経済・外交・政治論だと思い込む人々が、勝手にチャンスを偉大なる人物と祭り上げる。米大統領、ロシア政府など、主要国の諜報組織が、チャンス(チョンシー・ガードナー)の過去を探ろうとするが、ランド夫人の事故以前のことは、全くわからない(そりゃそうだ、大富豪宅から出ることもなく、存在証明すらない孤児だったのだから)。
そして、国連主催のレセプション会場から、チャンスはチョンシーとしての皮を置いて歩き出した・・・と私は思っている。

チャンスは「庭」と「TV」しか知らない。だから、語る内容はそれそのものでしかないのに、その悠然たる物腰と外見で、人々は勝手に「この男はいっぱしの大人物だ」と思い込む。チャンスの語る「庭や自然」を、自分の中で経済や政治に変換する。そして、勝手に感銘を受け、感動して、さらにチャンスを崇める。
人は、自分の見たいものを、見るのだな。物事には多面的な捉え方があり、人はそれを意味深いもの・高尚なもの・自分にとって尊いものとしてとらえたがっている。昨今の「ひと」は、自分に自信がない。権威を求め、そこに依存する。私は、この物語を、そんなふうに捉えた。

チャンスが語ったのは、政治でも経済でもなく、「庭」。だが、「ひと」は、そこから自分の欲するより高い次元のものを、勝手に読み取ろうとする。そういう風刺寓話だと思うのですよ。

もちろん、作中のチャンスの言葉を意味深に捉えるのも、物語の一つの読み方であると思う。政治や経済を、自然のように厳しくも温かく、おおらかに受け入れて、優しく認める。そうとらえることは、悪くない解釈だ。読む人によって、そして多分その時の気分や、置かれる状況によって、この物語は多面的に読者に語りかけてくるのだろう。

だから、終わりは、あいまいにされているのだと思う。寓話とも、社会を深く示唆する物語とも、どちらでも取れるように。他にも色々な解釈ができるように。
個人的には、もっとキッチリした決着をつけてほしい(チャンスがチョンシーを棄てて、新しい世界へ歩き出すとか)けど。

大体、ランド夫人が疑うことなく見知らぬ紳士(チャンス)を自宅に引き留め、なお且つランド氏がチョンシー・ガードナーの素姓に何の不審も抱かない、米大統領や各国大使がその言動に魅惑されるという、ご都合設定のすごさは、あまりにリアリティがないです。寓話だから許されるものですね。普通、素性のわからない人間を、自宅に置いとかないって。っていうか、病院じゃなく自宅に連れてくる方がビックリだわ。アメリカなんて、日本よりもっと「知らない人間に対する不信」が強いんじゃないかと思っておりましたが。寓話だから、チャンスの穏やかな物腰に皆がのめり込んで入れ込む、というのがありなんだと思いますね。それは、寓話としての物語構成上、ありです。OKだと思います。

ジャージ・コジンスキーという作者、なかなか侮れませんな。
『庭師~ただそこにいるだけの人~』、風刺寓話でもあり、示唆に富んだ物語でもあり、様々な読み方ができるところが、良かったです。

(2007.11.24 読了)
庭師ただそこにいるだけの人
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著者:イエールジ・N.コジンスキー/高橋啓出版社:飛鳥新社サイズ:単行本ページ数:180p発行年月:


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