『サグラダ・ファミリア(聖家族)』/中山可穂 ○

レズビアンで芸術家(ピアニスト)が主人公の中山可穂作品とくれば、いつもの身を引きちぎるかのような激しくも狂おしい愛の世界を想像して、思わず逃げ出したくなりました・・・。なんせ今は春休みで、子供たちがワーワー家に居ついてて、その手の物語を読むのは体力的にとってもキツイ気がして(^_^;)。
ですが、幸いにして『サグラダ・ファミリア』は、そこまで激情の物語ではありませんでした・・・よかったわ~。

情熱的なスペインものを弾くピアニストとして、名をあげていた石狩響子。2年前、運命的な激しい愛を交わしたジャーナリスト・成島透子との別れを迎える。別離の間に、響子は左の小指に怪我を負い、自ら納得が行かないから、とステージを降りて伴奏家として生計を立てるようになり、情熱をもつことなくただ生きていた。そして、ある日2年ぶりに透子からの連絡が入り「子供を産んだ」と聞かされる。
子供・桐人を挟み、2人の関係が再開したのだが、間もなく透子は逝ってしまう。残された桐人を、親戚達が扱いかね、施設に預けようとするのを知り、桐人の本来の父であった男の元恋人の男(つまり桐人の父はホモセクシャル)と協力して、引き取ることになる。その過程で響子はピアノ・音楽への情熱を取り戻し、ステージの世界へ帰ることを決意する。

え~と。非常に、冷めた発言なんですが、愛した女の子供を育てるために、その子の父親の元恋人(男)と偽装結婚する、というのは…将来的な破綻がすごく心配です。お互いが、桐人に自分の恋人の姿を投影している。それでいいのかなぁ・・・。響子→桐人←照というその家族の図式。響子と照は直接結びつかない。
子供のために、偽装結婚までする、というのはとても感傷的な犠牲なのでは・・・?

けれど、それを乗り越えてしまいそうな、響子と照(偽装結婚の相手)のバイタリティ、そしてお互いのセクシュアリティへの理解(というか許容?)は、なんだか微笑ましいというか素敵だな、と感じる私もいます。
「桐人のことを思う大人が2人いれば、それでいい」というのも、アリなのかもと。
レズビアンとホモセクシャルのパートナーですから、恋愛感情で結びつくということはない。だから逆に、激情による揺れのない家族関係が成立する。
私は、自分がノーマルなセクシュアリティしか持ちえないので理解は難しいのですが、もしかしたら、いい意味で「子はかすがい」となって、新しい家族の形を作るのかもしれません。
お互いを思いあう気持で、作り上げる、血の繋がりではない、心の繋がりの家族。
なんだか、暖かいかも。

レズビアンであることをカムアウトしている、中山さん。(今まで水無月・Rが読んできた)ほとんどの作品がレズビアンの主人公の激情の恋愛を描いていますが、今作は狂おしい愛憎劇というより、同性愛から生まれた、血縁関係の全くない、新しい家族像が育っていく過程を描いた、新しい傾向。こういうのも良いですね。
もちろん、(読書の)体力があるときは、激しく狂おしく、純粋なまでに攻撃的な愛の世界を読むのもイイのですがね(^_^;)。

(2008.03.28 読了)

サグラダ・ファミリア 聖家族

この作品は、■空蝉草紙■の空蝉さんにお勧めいただきました!
ありがとうございます。(ご紹介いただいてから、読むまですごく時間が掛かっちゃいました・・・)
空蝉さんの、思慮深い素敵なレビューはコチラです!

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この記事へのコメント

2008年04月01日 13:00
遅ればせながらトラバさせて頂きました。たまにはこうした中山作品もいいですよね。前作あたりからだんだん同性愛に重点を置かなくなってきた中山氏ですが、私はこれからの活躍すごく楽しみです。
2008年04月01日 23:48
空蝉さん、ありがとうございます(^^)。
中山さんの文章には、音楽と豊かな色彩があると感じています。読むのに結構体力が要りますが、私も好きです。
香桑
2009年05月04日 02:09
有川さんやもりみーの新作は積んだままにして、山の下のほうからこの本をひっぱりだしてみました。
確かに、中山さんの小説は体力がいるのですが、好きなんですよねぇ。

キリスト教の発想を下地にした「聖なる(サグラダ)」という形容詞には、「神々に犠牲として捧げられた」という意味あいがあるのです。犠牲になったから清いのです。
くしくも、水無月・Rさんが「感傷的な犠牲」と看破されているとおりだと思います。
2009年05月04日 22:18
香桑さん、ありがとうございます(^^)。
「聖家族」という、新しい家族の形。
犠牲になるからこそ美しい・・・というのは理解できるのですが、「桐人が自我を持ち成長した時それをどう感じるか」という、予測できない問題があるので、ちょっと気になったよですよね~。心の真っ直ぐな人なら、気にならないのかも知れないんですけど、私どうにも拗けてるもので・・・。
でも、それすら乗り越え(というより飛び越え)てゆきそうな、響子と照の力強さは、新しい家族像を輝かせていると思いました。

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