『少年トレチア』/津原泰水 ○

う~・・・黒いねぇ~。非ッ常~に、ブラックな・・・。
「悪いことをしたのはトレチア。殺したのはトレチア」と、子供たちの間に流布する言い訳。自分の酷い面を他人へとすり替える「トレチア」って、共同意識の産物?
・・・と思ったら残り3分の1あたりで、話の流れがトレチアから想像種動物「マカラ」へと・・・え~?!それはちょっとどうよ。私的にはちょっと納得いかなかったです。もっとトレチアについて突き詰めてほしかったな~。

津原泰水さんは、『綺譚集』で、その幻想性に惹かれた作家さんです。ただ、その時もブラックというかグロテスクな妖気こもった部分が結構、粘着質な印象というか、胸につかえる感じがして、ちょっと好みとズレましたが。
今回の『少年トレチア』は、座敷わらしのようにもう一人多い罪をかぶる人物像、罪をなすりつける存在、都市伝説、そんな話だと思っていました。

トレチアという存在を生み出した少年。その言葉を利用して「トレチア」像を膨らませていった当時の子供たち。そして、暴力と殺戮を生み出した、少年グループ。記憶のすり替え。積極的に殺しに走ったのは自分じゃない。○○くんだ。トレチアだ。
そして、動物殺しでは飽き足らず、人を殺すことへ変容していく、子供たちの欲求。殺害方法が、半端なくグロテスクなうえ、それを面白がってやっている。しかも、一度では飽き足らず次々と。
その、殺戮者であった少年たちが、数年後逆に殺されていく。殺したのはトレチアか?トレチアを騙る別の少年集団か?天意なのか。「緋沼サテライト」という、閉ざされた都市の幻想なのか。

いつしか、物語は「トレチア」から離れ、緋沼サテライトの公園の池にすむ巨大魚が「マカラ」(摩伽羅:インドの想像上の鰐)であるのでは、緋沼サテライトは「マカラの見る夢」であるのでは?という、こんがらがった話になっていく。人造池にいるはずのない、巨大魚。その巨大魚は、子供達が殺した動物や人間まで飲み込んだのか。

私的には、トレチアの物語とマカラの物語は、別々の物語だったほうが良かった気がするな~。確かに、2つの物語は絡み合う。だけど、マカラを語り始めてしまったところで、トレチアが中途半端に終わってしまったように感じるのだ。

物語から、「緋沼サテライト」という、マンションや一戸建てを集合させショッピングセンターや公園も併設し一つの都市として完結してしまった、息苦しい空間をとても感じた。住人同士の、そこはかとない監視。

そして、緋沼地震によるサテライトの崩壊。崩壊の際、著者である晩成作家の体験した「マカラ」の終焉。マカラの吐き出した透明な虹色の物質に浸食され、死んでしまった人、受け入れて生き残った人。
そして、作家の息子(血は繋がってない)が見守る、他の魚を圧倒して生き残る園の金魚。
この金魚は、未来のマカラとなり、サテライトの夢を見るのでは。サテライト崩壊の夢、サテライトの人々の夢。
きっとそれは、悪夢。集団幻想の末の怖ろしい夢と、「人」の中に必ずある悪い現実。

う~~ん。感想が難しい・・・。トレチアの話ならブラックで怖い~、子供だからこんなに残虐な殺しができるのか、グロイな~、とか人間は自分に都合のいい記憶を作るな、とかそういう感想は出てくる。
だけど、マカラの話となるとマカラとは何かが掴めなかったので内容が曖昧にしか理解できなかったし、マカラやビラヤカ、魚の見る夢であるサテライト、それに含まれ構成される少女自身とその夢、と・・・物語の構造そのものが解からなくなってしまって。「ムズカシイです」としか・・・(T_T)。

(2008.05.10 読了)

少年トレチア

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