『海』/小川洋子 ◎

『夜明けの縁をさ迷う人々』を読んだ時に、【今日何読んだ?どうだった??】の麻巳美さんにお勧め頂いた、小川洋子さんの『海』
麻巳美さんのお勧めなら間違いなし~!と期待満々で読みました。
・・・おお~、素晴らしい!これはいいです、ホントに。

7篇の、ささやかながらも美しくまたたく、優しい物語たち。長さもテーマも全く違うのに共通しているのは、ちょっとだけ現実を踏み外したような、浮遊感。そして、暖かい優しさ。原初の海に抱かれるような、安らぎ。
現実とのブレが、優しく響く感じがして、とても心地よく読めました。

「海」
結婚の約束をした泉さんの実家を訪問した僕。現実と少しズレている、今はもう小さくない、「小さな弟」。彼の奏でる鳴鱗琴(めいりんきん)は、どんな音色なのだろうか。
「風薫るウィーンの旅六日間」
旅の同室の老婦人に付き合わされ、ウィーンの養老院を訪れた私。暖かな気持ちと、微笑ましいオチが、非常に快かった。
「バタフライ和文タイプ事務所」
・・・うぉ。直接的な表現はないのに、どうしてそんなに淫靡なんだろう。和文タイプのタイピストたちの蝶さながらの動きと、活字管理人の静かな存在感。新人タイピストと活字管理人のやりとりが官能的。
「銀色のかぎ針」
編み物をする老婦人から漂う、優しさと懐かしさ。
「缶入りドロップ」
バスを運転し続けてきた男の、幼稚園児たちへの優しいトリック。
「ひよこトラック」
口を利かない少女ともうすぐ定年を迎えるドアボーイの、無言の交流。縁日のカラーひよこを乗せたトラックと抜け殻蒐集。ただ一度聞いた少女の声は、本当のプレゼントになる。
「ガイド」
公認観光ガイドの息子が、母の仕事を助けて「題名屋」の老人と共に過ごした1日。その1日の思い出に付けられた題名は『思い出を持たない人間はいない』。母から報酬を得た少年は、以前母がなくしたガイド用の小旗を「シャツ屋」に依頼する。

どれも・・・美しくて暖かくて、心地よかった。
「海」の「小さい弟」が奏でる鳴鱗琴は、きっと高く澄んだ音を出すのだろう…いや深い海のようにひそやかな低音を響かせるのだろうか…それとも海を渡る風のように湿った歯切れのいい音なのだろうか・・・などと、とても想像力を刺激された。
幼稚園児をもつ母としては、「缶入りドロップ」の運転手さんのように、トリックなのだけれど優しさが漂う物語には共感と憧憬を感じる。
「風薫るウィーンの旅六日間」のオチには、苦笑しながらも気持のよい暖かさを感じたし、「バタフライ和文タイプ事務所」の淫靡なやりとり(というより新人タイピストの妄想がほとんど?)には赤面。

でも一番素晴らしかったと思うのは「ガイド」である。
母を思いやる、さりげなく優しい息子。息子を思う母(ちょっと過保護気味?)。少年を助ける母の友人「シャツ屋」(不完全なシャツを作って売っている)。プロの観光ガイドである母の熟練の技とその矜持をを踏襲しつつ、自分なりに「題名屋」をガイドすることで、一つの階段を上がった少年。「題名屋」からもらったその1日の記憶の題名。正当な報酬で、母のガイド用の小旗をシャツ屋に依頼する少年の心には、きっと母の凛としたガイド姿が、そしていつか自分もそうなりたいという思いが、輝いているにちばいない。
素直な少年がたった1日で清らかに成長するさまが、とても美しく描かれていて、気持ちが温まると同時に、物語の母が羨ましくて涙が出た。彼は、母の小旗のために、どんな生地を選ぶのだろうか。きっと、完ぺきにぴったりな布であるに違いない。

どの物語からも、優しい香りが漂ってくる気がしました。

(2008.10.22 読了)

新潮社
小川 洋子


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この記事へのコメント

ERI
2008年10月24日 01:28
こんばんは!この短編集、とても好きです。
どれも美しかったですよねえ。「ガイド」の少年・・「博士の愛した数式」のルートくんを思い出しました。人と出会うことで、ポン、とステップをあがる姿が清清しいですね。息子って、基本やさしいんですよね~。母親を傷つけまいとするんです。この少年の母にたいする気持ちに、ほろっとしました。彼は、素敵な大人になりますね。
june
2008年10月24日 16:49
改めてこの物語のことを思い出して、胸がぽっとあたたかくなりました。
缶入りドロップの優しいちょっとしたトリック、「ガイド」の少年の優しさ、胸にジーンときました。
小川さんの作品の、現実とのズレ、そこから生まれるあたたかさとか哀しさ、すごく好きです。ちょっと怖いのも好きだけれど、このさじ加減が一番読んでいて心地いいかも。
2008年10月24日 22:02
>ERIさん。
「ガイド」の少年は、きっととても優しい青年になると思います。親子の間に流れる無言の了解と思いやりが、とても美しかったです。

>juneさん。
小川さんの描く世界の微妙なブレ感がとても素敵でしたね。優しくて、哀しくて、暖かい。どれもが嫌みなく融合している所が、素晴らしいと思います。
藍色
2008年10月25日 02:05
こんばんは。
バリエーション豊かな短編集でしたね。
現実とはちょっと違う日常に連れて行ってくれるようなお話が多くて、しばらくその世界に浸っていました。
やっぱり「ガイド」が一番好きです!。
エビノート
2008年10月25日 21:10
こんばんは~。
小川さんの文章って想像力が働きますよね。いろんなところで立ち止まって、鳴鱗琴の音色とか、タイプを打つ時の手の動きとかイメージしちゃいました。
2008年10月25日 22:20
>藍色さん。
「ガイド」はホントに、よかったですよね。この「僕」を息子に欲しい!と思いましたよ~ホント。すごく優しい。しかも頭がよくて、慎重で、気配りがうまい。そしてそんな少年が、成長したその日に「題名屋」がつけてくれた思い出の題名。良い物語を読んだなぁ・・・と、ほぅっとため息が出ました。

>エビノートさん。
そうなんですよね。美しく立ちのぼってくる情景。優しい暖かさを感じる、その文章は素晴らしいものでした。小川さん、もっと読んでみたいです。
2008年11月02日 21:08
水無月・Rさんこんばんは~^^
自分の名前が他人様のブログに載るとびっくりしますね。思わず「おおお…」と声が出たりして(笑)。
「夜明けの縁を~」とはまた違う雰囲気の作品集なので、どうかな?と思ったんですが、気に入っていただけたようでなによりでした^^
小川さんていろんな引きだし持ってますよね。わたしもまだまだ読めていない作品が多いので、これから既刊のを読んでみたいと思ってます…手持ちの本がなんとかなり次第、ですが(^_^;)
2008年11月02日 22:49
麻巳美さん、ありがとうございます(^^)。
ホント、お勧めに従ってすぐに読んでみて、大正解でした!ありがとうございます~!
小川さんの他の作品、私ももっと読みたいです。
が・・・、リストが・・・リストが長くなるばかり・・・(笑)。とりあえず、『薬指の標本』は既にリスト入りしてるので、そこから始めてみようかと思います(^_^;)。
雪芽
2008年11月09日 21:53
こんばんは。やっとここまで辿り着きました。
趣向は違うけれど、どれも優しく、豊かなイメージが溢れ出す作品ばかりでした。この本は時をおいて、再読してみたい本リストの1冊なんです。
2008年11月09日 22:05
雪芽さん、ありがとうございます(^^)。
光り輝くというより、秘かにチカチカと瞬くような、素敵な物語たちでしたよね。
優しく響く、その読後感が、素晴らしかったです。

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