『輪舞曲(ロンド)』/朝井まかて 〇

大正期に活躍した女優・伊澤蘭奢(いざわらんじゃ)。彼女の遺稿集の編纂に携わった、4人の男たち。
朝井まかてさんによる伊澤蘭奢を浮き彫りにする物語、『輪舞曲(ロンド)』ですが、果たして彼女の本当の姿は描き切れたのか。それとも、彼女は真に〈女優〉として生き抜いたがために、〈女優としての伊澤蘭奢〉が浮かび上がってしまったのか。
人は多面体である、自らも、他者から見た姿も・・・という感じを受けました。

津和野の老舗の薬屋の若嫁・伊藤繁は、乳飲み子・佐喜雄を置いて新薬開発に燃える夫と上京した際に、遠縁の浪人生・駿雄と関係を持つ。事業に失敗した夫とともに津和野に戻るも、旧家である婚家での生活は、彼女を蝕んでいく。
離縁を申し出、実家に戻り、鬱々とした生活の中でふと上京時に見た舞台を思い出し、〈女優になるのだ〉と思い立ち、離縁を成立させ、上京
新劇の劇団に入団し、女優・伊澤蘭奢(いざわらんじゃ)としての下積みが始まる中、出版社社主の内藤民治という男に見いだされ、パトロンとして面倒を見てもらうことに。舞台生活のさなか、帝大生の福田清人と知り合い、彼とも関係を持つ。
女優として大成し、舞台だけでなく活動写真にも出演し、さあこれから更に女優としての盤石の名声を得るのだ・・・という時、40歳を目前にして、彼女は脳溢血で死亡する。

物語は、その彼女を偲んで4人の男が集められるところから始まる。
内藤は、蘭奢の遺稿集を出版したい、協力して欲しい、と彼らに申し出、承諾は得るもののそれぞれに思いは錯綜する・・・。

4人の男たちから見た、蘭子・蘭奢・繁・母・・・は、それぞれに違い、そして蘭奢本人の視点から彼らや自らの女優人生を語る章もあり、三浦繁・伊藤繁・伊澤蘭奢という3つの名を持つ一人の女性の生き様は、多面的でした。
ただ、描かれれば描かれるほど、彼女の芯にあるものは〈女優・井沢蘭奢〉であったように思います。
腹を痛めて産んだ我が子・佐喜雄と過ごしていても、〈母〉でありながらも〈母であることを学び取り、舞台に活かそうとする者〉でもあったのでは…。個人的には、悲しい事だなと思いました。

現代の小劇団の俳優たちも、チケットの割り当て売りや劇場費用の持ち出しなど、なかなか収益にはつながらない生活であるようですが、蘭奢の時代も、衣装は自前の手作り、舞台や生活のために質屋に出入りし・・・という生々しい生活が描かれていました。
舞台ではそれぞれが魂を削ってぶつけ合うかのような演技をし、新聞の劇評に一喜一憂し、矜持と苦悩がせめぎ合う中、自らの俳優・女優としての在り方を高らかに表現していく姿に、とても迫力を感じました。

内藤・駿雄(活動写真弁士の徳川夢声)・清人・佐喜雄、それぞれが異なる個性を持った男たちでしたが、私が特に面白いと思ったのは、徳川夢声の仕事の変遷でしたねぇ。
浪人生から繁との醜聞で大学進学を放棄し、落語家に弟子入り志願するものの父に反対され、活動写真弁士となり。
弁士としてトップクラスに入るも、時代はトーキー映画が台頭して弁士の必要がなくなり。
弁士を辞した後も、ラジオや執筆活動で暮らしは成り立ち、そのうち俳優として舞台に出るようになる。
紆余曲折ありながらも、職にあぶれることなく生きて来た彼の根底にあったのが「丸髷の細君」である蘭奢(繁)だったのかもしれません。
身体の関係だけでなく、弁士と女優という「芸能に携わるもの」としてのシンパシーや対抗心もあり、喪って尚それを認められず酒に溺れていく。
なかなか業の深い男だったと思います。
だからこそ、物語の終わりは彼の視点で、桜の散りながら舞うシーンで終わったのかもしれません。

う~ん、気付けば長々とあらすじを書いてしまったような。
伊澤蘭奢という女性の、圧倒的な〈女優としての矜持〉が押し寄せてくるような物語でした。

(2021.05.07 読了)

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