『泥(こひ)ぞつもりて』/宮木あや子 ○

藤原摂関家華やかなりし平安時代のままならぬ想いが行き交う、宮木あや子さんの描く世界。いつの世にも恋は整然とせず、嘆き苦しむばかり。
平安時代の貴族であれば尚のこと。娘は政略の道具となり、心を千々に引き裂かれる。男とて、叶わぬ恋情や政(まつりごと)の行く末に、ただ悔やむばかり。

『泥(こひ)ぞつもりて』は、清和・陽成・光孝・宇多の四代天皇の時代における、天皇たちとその女御およびその周辺の者たちの物語である。
天皇の外戚になるために、娘たちを後宮に送り込む、藤原摂家の執念。我こそは主上の子を産まん、と祈り願う女御たち。天皇による親政を望みつつも、術もなく歯噛みするばかりの歴代天皇。
それぞれの想いが行き違い、愛情はあるのに伝わらず、志を同じくしているのに反目し、時代や世情や他者の思い込みに流され、苦しい思いばかりが降り積もってゆく。

「泥」が「こひ(恋)」とは、印象的な表現です。
「泥ぞつもりて」「凍れる涙」「東風吹かば」の3篇通して、ままならぬ想いをする中心人物・藤原高子(常寧殿・二条后)は、冒頭と終章でこう心につぶやく。
~~恋は池の底に溜まる泥のように形を持たないけれど、いつまでもそこに溜まりつづけ、消えることはない。~~ (本文より引用)
恋だけではなく、それぞれの思いは行き違い、苦しみ、そして静かに降り積もってゆく。

あまりに、ままならぬ想いが多く、読んでいて苦しくなった。
現代と比べることは、何の意味ももたいないのだけれど、あの時代の天皇家及び貴族という、狭く頑なな世界がいかに苦しいものか、そしてそれを解く方法はないという閉塞感が、堪らなかったです。

一目見た主上を恋い慕い入内は出来たものの、主上の訪れはない女御。主上に思われながら、石女(うまずめ)である女御。内裏の外の女の立場から、入内を果たした女御。唯一人と思う相手と引き裂かれ、入内させられた女御。
それぞれの想いや孤独感、自尊心だけでも哀しいのだが、その女御たちへの主上の思い、また藤原摂関家や政局を司る貴族たちの攻防も全て、絡まり合ったまま織り上げられる物語の、切なさ。

打開できない閉塞感が、登場人物たちをより一層苦しみの淵へと引き摺りこむ、その救いのなさが、非常に印象的でした。
・・・それでも、彼らは思いを捨てることはせず、いつか救われるのではと苦しみもがきながら、狂おしく生きてゆく。

(2009.02.17 読了)

泥ぞつもりて
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著者:宮木あや子出版社:文藝春秋サイズ:単行本ページ数:285p発行年月:2008年11月この著者の


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