『雨の檻』/菅浩江 ○

以前、菅浩江さんの『カフェ・コッペリア』を読んだ時、空蝉さんにお勧めいただいた作品です。
人間そっくりのロボットや世代型宇宙船などが出てくる、未来の話なのに何故か、郷愁漂う優しい物語達。

美しく、愁いを含んだ未来を描いた短編集、『雨の檻』。初版は1993年とのことですが、物語そのものに違和感や古臭さは感じられないです。多分、7編の物語の登場人物達が美しいから・・・なんでしょうね。美しい、というのは・・・外面的な部分ではなく気持ちというか心構えの部分で。心が美しい、というのともちょっと違う。気質が、すっきりと芯が通っている感じがする。

「雨の檻」
新天地を求めて航行する宇宙船の中で隔離されている少女。雨の風景しか映さない窓。彼女を世話する感情型人工物。
「カーマイン・レッド」
絵描きロボットと、絵描きになれなかった少年の交流と別離。
「セピアの迷彩」
運命を課せられたクローン。オリジナルの願い。
「そばかすのフィギュア」
人工知能と疑似神経を搭載したフィギュアに自分の姿を見る女学生。
「カトレアの真実」
頬にカトレアの刺青をした男は、女を救うことが出来たのだろうか。
「お夏 清十郎」
日本舞踊の家元・奈月には時遡能力がある。彼女の見る夢、後継者の見る夢。
「ブルー・フライト」
試験管ベビー達に与えられた〈遺言〉。だが、遺言を遂行することが出来なくなった時・・・。

私が一番心を動かされたのは「雨の檻」かな。自分を慈しんでくれる感情型人工物(ロボット)・フィーのために〈子供〉であり続けたシノが、フィーの狂いを経てフィーの保護者のようになってゆき、そして彼女を隔離していた宇宙船の中枢すらも、もう彼女を保護することはできなくなり。シノがはじめて外に出たとき、シノはもう子供でも少女ですらもなく、老婆の姿であった。中枢・フィー・中枢が作り出した父母の人格、皆がシノを見送り、そして狂っていった。

既にたどり着いていた新天地。だがそこには、宇宙船の高度な中枢すら見抜くことのできなかった、人の存在できない何かがあり、降り立った乗員たちはすべて、命を失った。ただ一人〈無菌室〉に隔離されていた子供を除いては。〈中枢〉は、彼女を生きながらえさせるためだけに、機能し続けた。だが、それも終わりを迎えた、ということなのだ。

〈中枢〉の願いは、ただ一つの生命の維持。それが叶わなくなった時、シノは自由を得る。生命が維持できない大地を走るシノ。
シノはただ一人残された人間。だが・・・たった一人で外界に走りだしたシノと、残された疑似自我である〈中枢〉と、どちらが幸せなのだろうか・・・。

一つ一つ全く違った未来で、現在から遠く隔たった技術に彩られているけれど、でもその中心にあるのは、優しく暖かく、強い心。
こんな未来が、訪れたらいいと思う。現在の状況から私が予測する未来は、残念ながら多少殺伐としている。機械化され、感情よりも合理が優先されるような。そう、どの物語の主人公達も、感情が豊かだ。プラスにも、マイナスにも。
豊かな感情ゆえに苦しむこともあるだろう。だが、人が人でありうるのは、感情あってのこと。
だからこそ美しく、時に醜く、だが生き生きと「ひと」はそこに在り続ける。

優しい淋しさを湛えた、未来の物語。そこにあるのは、限りなく人に近い〈機械〉や〈人工的に作られた「ひと」〉。彼らを取り巻く未来が、こんなにも優しいのなら。少しずつ歪んでいる未来だとしても、「ひと」は生きていけるのだろうと思う。そうあって欲しいと願った。

(2010.03.09 読了)

雨の檻 (ハヤカワ文庫JA)
早川書房
菅 浩江


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