『私の頭が正常であったなら』/山白朝子 〇

山白朝子さんの作品というと、『エムブリヲ奇譚』などの〈エムブリヲ奇譚シリーズ〉の和風幻想譚のイメージが強いので、本作『私の頭が正常であったなら』は、ちょっと意外でした。「現実世界にちょっとだけ不思議な現象が紛れ込んでいる」感じでした。

でも、その「ちょっとだけ不思議な現象」は確かに「ちょっとだけ」なのに、私たちの知ってる現実の裏側にある別の世界のような印象がふつふつと生まれてきて、いつの間にかするりと向こう側に連れていかれています。
怖くはないけど、違和感があって、それでいて懐かしい感じ。
もしかしたら、本当は自分は「向こう側」の人間だったのかもしれない?と、ちょっと不安になったりもして(笑)。

「世界で一番、みじかい小説」
ある若い夫婦にだけ見える幽霊、その理由。そして妻の思い。
「首なし鶏、夜をゆく」
仲良くなった女の子が、大事に育てていたもの。そして残されたそれ。
「酩酊SF」
酩酊したら時間混濁が起きる。その末に起きた事件。
「布団の中の宇宙」
中古の布団から、失踪した男。
「子どもを沈める」
だんだん「あのこ」に似てくる我が子。
「トランシーバー」
息子の遺品のおもちゃのトランシーバー。幻聴とわかっていても。
「私の頭が正常であったなら」
精神が不安定な私にだけ聞こえてくる、助けを求める子供の声。
「おやすみなさい子どもたち」
死ぬときに見える走馬灯を上映する映画館で。

どの物語も、〈生死の狭間を越えるもの・越えられないもの〉の切なさを描いていたように思います。
越えるもの、越えられないもの、どちらが正しいとか良いとかではなく、それぞれの切なさと温かさが丁寧に描かれていました。

「布団の中の宇宙」が好きです。
Tさんはきっと、「布団の中の世界」に愛されてたのでしょう。その世界を文章で表現する才能をもち、何事も受け入れてきたTさんを愛したその世界は、最後にTさんをそちら側に連れ去った。Tさんが世界を愛し信じ続ける限り、彼らの蜜月は続くのではないか・・・という気がします。
・・・中古の布団は、主人公が言うように、ちょっと抵抗がありますので、私は遠慮したいですが。

「首なし鶏、夜をゆく」のラストで、夜道を彷徨う主人公と首なし鶏の京太郎は、いつしか風子の首に出会えるのでしょうか。いつまでも、いつまでも、彷徨い続けるのかもしれない。でも、何故かそれは美しい光景のような気がします。

「トランシーバー」の、妻子を失った男が息子のトランシーバーで死んだはずの息子と会話しているというストーリーはありがちながら、何とか生きる気力を取り戻して、戸惑いためらいながら新たな生活へ踏み出し、すっかり立ち直って新しい家族も生まれ、という過程が丁寧に描かれていて、心が温まりました。最後に、のちに生まれた娘が「自分が小さい頃、このトランシーバーから音がしていた」と言い出したところで、なんだか胸がいっぱいになりました。娘にも、聞こえていた。死んだ妻子のことを知らない娘にも。だから、幻聴ではなかったのかもしれない。単に偶然かもしれないけれど、それでも、物語そのものが救われた気がしました。

「世界で一番、みじかい小説」で「脳細胞はターンオーバーしないから、(死んでしまった子どもは)ずっと私のどこかに居てくれるかもしれない」という妻の言葉は、とても素敵だと思います。幽霊騒動や失踪殺人事件なんていうものを描きながら、このラストへ持って来る。強引でなく自然にここへ持って来れる布石はちゃんと打ってあることにはたと気付き、物語の構成力に驚きもしました。

それぞれに、寂しい切なさが流れながらも、温かさと希望が見える終わり方で、とても良かったです。
現実の世界に在りながら、もしかしたらちょっとだけズレた世界ではこんなこともあるのかもしれない、いやもしかしたら私は向こう側の人間なのかも・・・。曖昧な世界の境目を彷徨うような読書でした。

(2019.11.28 読了)

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