『神様の暇つぶし』/千早茜 〇

物語の終盤に差し掛かって、「わからない・・・理解できない、いや、理解したいのかどうかも分からない」と思ってしまったのです。
千早茜さんの描く、焼けつくような情動とそれが一気に去ってしまってもなお生き続けてしまったうら寂しさに、焦燥と共に突き放されたような気持ちになりました。
『神様の暇つぶし』というタイトル、誰が何が〈神様〉で〈暇つぶし〉とは何だったのか・・・、何重にも意味が感じられて。

主人公・藤子の元に、「あなたにとって先生とはどんな存在でしたか」と尋ねる男が訪れる。
その男は、かつて藤子が激情のひと夏を共に過ごし、何も言わずに去って行った写真家・廣瀬全の遺作となった写真集を、彼女に渡す。
藤子は、全との出会いから、共に過ごし身も心も深く繋がりあった日々を思い出す。

藤子は、写真集に自分の写真を使うことを許可したにもかかわらず、その写真を見たことがないという。
それだけで、どれだけ苛烈な別れがあったかが予想出来てしまい、いかにして二人が出会い、互いの個性や感情をぶつけ合いながら繋がりを持ち、そしていつしか二人の間にカメラが介在するようになった・・・という藤子の回想を読み、息苦しくなってしまいました。

ここまで、誰かや何かを求めたことがないから。
「わからない」けれど、〈読むことで経験できてよかった〉なのか、〈経験できたような気になっているだけ〉なのか、そして〈理解したいのかどうかも分からない〉という思いに気付いてしまいました。
若かった頃なら、〈経験したい・理解したい〉という思いで、むさぼるように読み、咀嚼しようと必死になったと思います。
今は、こんな激情を持つ自分を想像できないし、たぶんこういった激情に耐えられる気力も体力もあまりに不足しているのだと思います。
そんな気持ちを持ったまま、回想を終え全とのことを尋ねてきた男に語ろうと藤子が決意した結末を迎え、なんだかホッとしてしまいました。

生々しくそして荒々しく生きた夏、全が去り、全のパートナーが「遺作になる写真集を、あなたをモデルとした写真で作りたい」と申し出て来たこと、写真を確かめることもせず承諾した彼女の傷の深さは、ずっとずっと癒されることなく物語の「現在」まで来てしまった。
その痛々しさを読むにつけ、辛さは幾層にも積み重なって、どうにかして藤子が『遺作の写真集』を見て救われて欲しいと願ったのです。

回想を終えて、自らの傷を暴き確認した彼女は、眠れない夜と訣別しようと写真集を手に取り、そこにある「自分」の様々なパーツや全体像に衝撃を受ける。
編集者に「私の話すことは、私の話でしかありません」と宣言した彼女は、自らを救ったのだろうと思います。
そこに、安心しました。

女友達・葉月と、全と関わっていた頃に仲良くなった男子・里見とのエピソードは、獣のように荒々しい全との関わりの中で、ホッとするような優しくて少し緩やかな感覚があって、好きでした。里見の嗜好のこと、それを勝手にカムアウトした葉月のその身勝手だけれど藤子が共感できる感情など、あまりほのぼのとしたエピソードでもないにもかかわらず。
全がいなくなったあと、藤子の家に入り浸っていた二人は、彼女を問い詰めることもなく少しずつ彼女の深すぎる傷を埋めていったのでしょう。傷の全てを癒すことは出来なくても。
そんな友人を持てた藤子が、うらやましくなりました。

(2021.02.05 読了)

 ※とうとう、ウェブリブログもトラックバック機能が無くなってしまいました(T_T)。
ブロガーさんにご許可頂いたレビューをご紹介します
☆おすすめです!☆

"『神様の暇つぶし』/千早茜 〇" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント