『海の仙人』/絲山秋子 ○

芸術選奨文部科学大臣新人賞(2004年)受賞で、芥川賞候補作ですね。と言っても水無月・R、文学賞などの受賞作品であることには、全くこだわりのないタイプです。
自分にとって、面白い・良い・感じるところがあるかどうか、それだけです。
で、この『海の仙人』はどうだったかと言うと、「うわ、捉え処がないぞ~」と言うのが、正直なところです。あ、ちなみに絲山秋子作品は初めてです。
いえ、良い作品だったと思うんですよ。読後感が温かくて。けど、はっきりした何かを得ることができず、ちょっと物足りない感じ。

なんか、この前も書いた表現なんですが「優しい寂しさ」みたいな感じです。ああ~、語彙が少ないと、文章書くのがつらいわ(笑)。
何もしない神・ファンタジーの存在が、物語に優しさと捉え処のない幻想感を加え、主人公・河野やその恋人・かりん、河野の同期・片桐の人間関係のわずかな擦れ違いが、寂しさと同時に温かさを湛え、タイトルは『海の仙人』ですが、静かな湖にひっそりと漂っているかのような、そんな感じを受けました。

4年前、宝くじが当たったので、隠遁生活に入った河野。その河野のもとに「神」を名乗るファンタジーというモノが現れる。何せず、自分は野次馬のようなものと言い切るファンタジー。…それでも神かいな。しかし、だれもが初めて会ったのに、そのモノがファンタジーであることを知っていて、じゃあやっぱり神なのかと言うと、何にもしないわけで。
ファンタジーというネーミングは、いかがなもんかいな、と思いますが。
河野の会社時代の同期・片桐は河野に思いを抱いているが、河野はそれを受け入れることができない。河野には、苦しい過去があったから。河野の恋人(でも体の関係はない)・かりんは乳がんになり、ホスピスで河野に看取られながらこの世を去り、河野は失意の日々を送りながらもだんだんに自分を取り戻すが、落雷により失明する。そうしたある日、ファンタジーがまた現れ、さらに片桐が河野のもとを訪れる。

ファンタジーは、妙におっさんくさい感じ。ただ、それが嫌な感じでなく非常にナチュラルな「そこいて当たり前」感を与えるので、その辺が神様たる所以なのかしらん、と思いました。言うことは結構深遠だったりするしね。

~~かりんは~いつも同じコースに柔らかいカーブの球を投げてきた。~腹が据わっているのだ。河野は打つ気もないのにバッターボックスに入ってひたすらフォアボールになるを待っているバッターだった。
片桐は違っていた。~ストライクゾーンをいっぱいに使って直球を投げてきた。~~
 (本文より引用)
この文章が、3人の立ち位置や感情を、巧くまとめていますね~。こんな3人だったからこそ、いじらしいような温かい関係が築けたのではないでしょうか?多分、普通の欲のある人間だったら、こんな風な物語は作れないでしょう。

最後の最後に、失明した河野のところへ、ファンタジーが現れ「元気で」と去ろうとする。それに河野は「何言うてんのや、もう僕はいつでもあんたと話ができるんやで」と応じる。ああ・・・いいな。何がいいと説明できないのだけれど、明るい先が見えてくる感じがして、いい。
さらに片桐が現れる。片桐は失明のことをまだ知らないのだろうけど、でもきっと全く気にしないで、河野と語り合えるのだろうと思う。もしかしたら、そこからまた新しい物語が始まるのではないか、そんな気がします。

(2007.07.27 読了)
海の仙人
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著者:絲山秋子出版社:新潮社サイズ:単行本ページ数:154p発行年月:2004年08月この著者の新着


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